英語ができるフィリピン人と話していると、ときどき不思議な気持ちになります。
失礼を承知で言えば、特別にエリート教育を受けたわけでもない普通の若者が、ごく自然に英語を話している。一方で日本人は、中学・高校と6年間、まじめに英語をやってきたはずなのに、いざとなると “This is a pen.” くらいしか口から出てこない。あの感覚、心当たりのある方は多いのではないでしょうか。
この差はいったい何なのか。才能でしょうか。発音の問題でしょうか。私自身、2012年にセブ島へ留学して、現地で英語漬けになった経験があります。その実体験も踏まえながら、できるだけ正直に考えてみたいと思います。
フィリピン人が英語を話せるのは「才能」ではありません
まず大前提として、フィリピン人の英語力は、世界的に見てもかなり高い部類です。スイスの教育機関EFが毎年発表している英語能力指数(EF EPI)の2025年版では、フィリピンは世界28位、日本は96位。同じアジアでも、ずいぶん差がついています。
Source: EF「英語能力指数(EF EPI)」2025年版(EF公式)
ではなぜフィリピンはこれほど英語が強いのか。理由は「才能」ではなく、「歴史」と「環境」にあります。
フィリピンは1898年から1946年まで、アメリカの統治下にありました。このときアメリカは、統治政策の一環として英語教育を全国に広げます。1901年には「トマサイト」と呼ばれる米国人教師団が派遣され、各地で英語を教えて回りました。独立後もその流れは消えず、今に至るまで英語は教育・行政・ビジネス・メディアの場で当たり前に使われ続けています。
ここで大事なのは、英語が「勉強する科目」ではなく「使わないと生活が回らない言語」になっている、という点です。学校の授業も、就職活動も、テレビも、英語が混じる。さらにフィリピンでは、海外で働いて家族に仕送りをする人がとても多く、英語ができることがそのまま収入に直結します。つまり、好むと好まざるとにかかわらず、毎日大量に英語を使わざるを得ない。その「量」が、自然と話せる力をつくっているわけです。
ちなみに、これは良いことばかりではありません。母語・フィリピン語・英語と複数の言語を抱えることで、他の教科に割く時間が圧迫される、地方の言語が衰退しているといった指摘もあります。英語が話せる国にも、それなりの事情と痛みはある。そこは公平に見ておきたいところです。
では、なぜ日本人は中高で1,000時間やっても話せないのか
ひるがえって日本です。日本人だって、英語をサボってきたわけではありません。中学・高校でしっかり時間をかけて勉強しています。それでも話せない。これはもう、個人の努力不足の問題ではないと思うのです。
いちばん大きいのは、学校の英語が長らく「読む・書く・文法」を中心にしてきたことでしょう。単語を覚え、文法を解き、長文を訳す。インプットは大量にやるけれど、口に出して話す機会、つまりアウトプットが決定的に少ない。文部科学省が毎年実施している英語教育実施状況調査を見ても、「話すこと」の力が他の技能に比べて伸び悩んでいる傾向が読み取れます。
Source: 文部科学省「英語教育実施状況調査」
それに加えて、日本では英語を使わなくても生活がまったく困りません。フィリピンと違って、英語を話す「必然性」がない。せっかく覚えても使う場面がないから、忘れていく。この「使わざるを得ない環境がない」というのは、想像以上に効いていると思われます。
「日本語は世界一難しい言語のひとつ」という話の、扱い方
ここでよく持ち出されるのが、アメリカ国務省のFSI(外務職員局)という機関の話です。外交官などが語学研修を受ける機関で、英語ネイティブから見た言語別の習得難易度をまとめています。それによると、日本語は最高難度の「スーパーハード」に分類され、習得に約2,200時間かかるとされます。フランス語が約600時間と言われるのと比べると、その差は歴然です。日本人が英語を学ぶときも、同じくらいの距離(ハンデ)がある、というわけですね。
ただ、正直に言っておきたいことがあります。このFSIの数字は、もともと外交官養成の経験則がベースで、しかも相当古いものです。「日本語と英語は遠いから仕方ない」という話は、半分は本当ですが、半分は言い訳にもなりかねない。距離が遠いのは事実として受け止めつつ、そこで思考を止めないほうがいいと思うのです。
Source: FSI(米国務省 外務職員局)の言語難易度について/日本経済研究所の解説より
もう少し新しくて、実感に近い目安もあります。ケンブリッジ英語検定が公開している「ガイド付き学習時間」という考え方で、英語力の国際的なものさしであるCEFRのレベルを1つ上げるのに、授業と指導付き学習でおよそ200時間が目安とされています。日常会話に困らないレベルまでとなると、累積で1,000時間規模の学習が必要になる計算です。
Source: Cambridge English「Guided Learning Hours」(ケンブリッジ公式)
日本人が中高で英語に費やすのは、だいたい1,000時間前後と言われます。数字だけ見れば、決して少なくない。なのに話せない。ここに、この記事でいちばん伝えたい話が出てきます。
いちばん大事なのは、「1,000時間」の中身です
ここが核心です。同じ1,000時間でも、何に使った1,000時間かで、結果はまったく変わります。
私の体感を正直にお話しします。セブ島で3か月、毎日マンツーマンの授業を受け続けて、トータルで500時間ほど「英語を話す」時間を積み上げたことがあります。そのとき、はっきりとレベルが上がった手応えがありました。けれど、これは「会話を500時間やった」から効いたのであって、「自習を500時間やった」のでは、おそらく同じようには伸びなかったと思うのです。
英会話というのは、英会話をやらないと伸びない。当たり前のようでいて、ここを取り違えている人がとても多い。単語帳を500時間眺めても、話せるようにはならないのです。
それを象徴するのが、TOEICのスコアと「話せるかどうか」のズレです。TOEIC L&Rは、リスニングとリーディングの試験。読む力・聞く力を測るには優れていますが、話す力は測っていません。運転免許でいえば、筆記試験と実技試験くらい別物なのです。だから、TOEIC900点を持っているのに、いざ話そうとすると固まってしまう人が珍しくない。スピーキングを測るVERSANTのようなテストを受けると、TOEICのスコアからは想像できないほど低い結果が出てしまうこともあります。
Source: TOEIC公式データ・テスト内容(IIBC公式)
決して、TOEICが無駄だという話ではありません。読む・聞くの土台があるのは大きな武器です。ただ、その土台の上に「話した量」を積まないかぎり、口は動かない。これは才能でも、若さでも、語学センスでもなく、ただただ「やった量」の問題なのだと思います。
結局、英語は「使わざるを得ない量」を作れた人が話せるようになる
ここまでの話を、ひとつにつなげてみます。フィリピン人と日本人の差は、才能ではありませんでした。フィリピン人は、歴史と環境のおかげで「英語を使わざるを得ない=大量に話す」状況を、生まれたときから持っている。日本人は、まじめに勉強はするけれど、その「話さざるを得ない量」を持っていない。差は、ほぼここに尽きるのではないでしょうか。
だとすると、私たち日本人がやるべきことは見えてきます。日本にいながら「英語を話さざるを得ない環境」を、どうにかして自分でつくることです。オンライン英会話で毎日話す、英会話教室に通う——もちろん、それも立派な一歩です。
ただ、いちばん手っ取り早く、しかも逃げ場なく「話す量」を積めるのは、やはり留学だと私は思っています。朝から晩まで英語に囲まれて、マンツーマンで何時間も話し続ける。あのフィリピン人が自然に手に入れている環境を、数か月だけ、強制的に自分のものにする。
そして面白いのは、その「英語を話せる国」フィリピンが、そのまま留学先になっているということです。なぜ彼らが話せるのかという答え(英語を使い倒す環境)が、そっくりそのまま「だからフィリピン留学には意味がある」という理由になっている。きれいな話だと思いませんか。
英語が話せないのは、あなたの頭が悪いからではありません。ただ、話す量が足りていないだけ。だとしたら、足りない量を一気に取り戻せる場所へ、思い切って身を置いてみる。その選択肢として、フィリピン留学やセブ島留学を一度のぞいてみてはいかがでしょうか。
フィリピンがなぜこれほど英語に強いのか、留学先としての実際の中身に興味を持った方は、フィリピン留学ガイドもあわせてご覧ください。
