フィリピンの公用語が英語の理由:歴史ではなく切実なお金の話

英語が公用語のフィリピン "話せる=豊か"とは限らない理由

フィリピン人と英語の話になると、たいてい「ああ、昔アメリカに統治されていたからでしょう」で会話が終わります。確かにそのとおりで、間違いではありません。ただ、私はこの説明を聞くたびに、ひとつ引っかかることがあるのです。

アメリカの統治が終わったのは1946年。もう80年も前の話です。普通、支配者から押しつけられた言葉というのは、独立すると反発で追い出されていくものではないでしょうか。実際、世界には独立をきっかけに旧宗主国の言語を遠ざけていった国がいくつもあります。なのにフィリピンは、80年たった今も英語を手放していません。それどころか、世界でも指折りの「英語が通じる国」であり続けています。

ここに、もうひとつ問いを重ねたいのです。これだけ英語が話せるフィリピンは、それで豊かになったのでしょうか。「英語が話せる=豊かになれる」と、私たちはどこかで信じています。でも、フィリピンをよく見ていくと、その等式はそんなに単純ではないと思えてくるのです。この記事では、「なぜ英語が残り続けているのか」と「話せれば豊かになれるのか」という2つの問いを、できるだけ正直にたどってみたいと思います。

目次

「アメリカ統治のおかげ」は、半分しか説明していない

まず、フィリピンと英語の歴史を簡単に押さえておきます。フィリピンは1898年から1946年まで、アメリカの統治下にありました。1901年には約500人規模の米国人教師団「トマサイト」が派遣され、英語を教授言語(授業で使う言語)とする公立学校制度を全土へ広げていきます。 Source: トマサイト来比(1901年)について/Inquirer(Dennis Edward Flake 寄稿)

独立後もこの流れは消えませんでした。現在の1987年憲法でも、国語であるフィリピノ語とならんで、英語が公用語として位置づけられています。教育・行政・ビジネス・メディアの場で、英語は今も当たり前に使われ続けています。 Source: フィリピンの言語と英語教育の歴史(東京外国語大学 言語モジュール)

ここまでは、よく聞く「アメリカ統治のおかげ」という話のとおりです。ただ、少し立ち止まって考えてみてください。この説明は、英語が”始まった”理由は教えてくれますが、80年もたった今なお英語が”残り続けている”理由までは説明していません。押しつけられただけの言語なら、時間とともに薄れていってもおかしくない。なのにフィリピンでは、むしろ生活の隅々にまで根を張っている。だとすると、英語を残しているのは「歴史」とは別の何かがあるはずなのです。

英語を残したのは、歴史ではなく「お金」だった

その答えは、身もふたもない言い方をすれば「お金」です。フィリピンでは、英語が学校の科目ではなく、文字どおり”飯のタネ”になっています。

たとえば、海外で働くフィリピン人(OFW)は2024年でおよそ219万人。移住者まで含めれば、海外で暮らすフィリピン人は1,000万人規模、人口のおよそ1割にのぼるとも言われます。 Source: 2024年 海外フィリピン人労働者調査(フィリピン統計庁 PSA)

彼らが母国へ送るお金(送金)は、2024年に過去最高の約383億ドルに達しました。これはフィリピンのGDPのおよそ8%(8.3%)にあたります。国の経済の1割近くを、海外で働く人たちの英語が支えている、と言ってもいいくらいの規模です。 Source: 2024年の海外送金額(フィリピン中央銀行BSP発表/フィリピン通信社PNA)

国内に目を向けても、英語はそのまま”稼ぐ力”です。英語で欧米企業の顧客対応やIT業務を請け負うコールセンター・BPO産業は、2024年に売上およそ380億ドル、雇用は約182万人にのぼりました。英語ができることが、ダイレクトに仕事と収入に結びついているのです。 Source: 2024年 IT-BPM産業の売上(IBPAP発表/フィリピン通信社PNA)

つまりフィリピンでは、英語が「勉強する科目」ではなく「使えないと食べていけない経済インフラ」になっている。好むと好まざるとにかかわらず、毎日大量に英語を使わざるを得ない。この”切実さ”こそが、統治という歴史が終わったあとも英語を手放させなかった、本当の理由ではないでしょうか。

“話せる=豊か”とは限らない

ここで、冒頭のもうひとつの問いに戻ります。これだけ英語が根づいたフィリピンは、それで豊かになったのか、という問いです。

英語力という点では、フィリピンは確かに世界の上位です。スイスの教育機関EFが毎年発表している英語能力指数(EF EPI)の2025年版では、フィリピンは123の国・地域のうち28位。最下位グループの96位に沈んだ日本とは、ずいぶん差がついています。 Source: EF「英語能力指数(EF EPI)」2025年版(EF公式)

ところが、「英語が話せる=経済的に豊か」かというと、話はそう単純ではありません。むしろ見方を変えると、こうも言えるのです。国内に十分な働き口がないからこそ、人々は海外へ出ていき、だからこそ英語が必要になった——という側面がある。英語力は、豊かさが実った”果実”というより、必要に迫られて身につけた”サバイバルの道具”でもあるわけです。先ほどの送金額の大きさも、裏を返せば「国を出ないと十分に稼げない人が、それだけ多い」という現実の表れでもあります。

あわせて、公平のために触れておきます。これだけ英語に力を入れることの代償として、母語や地方の言語の地位、子どもが何語で学ぶべきかといった教育上の難しさを指摘する声もあります。ここは評価が分かれる領域なので断定はしませんが、「英語が強い国」には、それなりの事情と痛みもある——そこは知っておいてよいと思います。

裏返すと、日本人が話せないのは「恵まれているから」

さて、ここまではフィリピンの話でした。でも、この話のいちばん面白いところは、裏返したときに見えてきます。

日本はどうでしょう。私たちは、母語である日本語だけで、大学にも進学できるし、就職もできるし、生活もすべて完結します。テレビも、仕事も、役所の手続きも、日本語だけで何ひとつ困りません。これは、世界的に見るとかなり珍しい”贅沢”なのです。

つまり、日本人が英語を話せないのは、頭が悪いからでも、努力が足りないからでもありません。話さなくても豊かに暮らせる環境にいるから、話す必然性が生まれないだけ。フィリピン人が英語を手放せなかったのと、ちょうど正反対の理由です。

では、まじめに勉強しているはずの日本人が、それでも英語を話せるようになるにはどうすればいいのか。その話は、なぜフィリピン人は英語を話せて、日本人は話せないのかのほうで詳しく書いていますので、あわせて読んでみてください。

結局、言語を決めるのは「才能」ではなく「切実さ=環境」

こうして並べてみると、フィリピン人と日本人を分けているのは、才能でも、教育を受けた年数でもないことが見えてきます。分かれ目はただ一点、「英語を使わざるを得ない切実な環境」があったかどうか、です。

フィリピン人は、その環境を生まれたときから背負っています。日本人には、それが自然には降ってきません。だとすれば、私たち日本人にできることは、ひとつしかありません。その”切実な環境”を、自分の手で作りにいくことです。

日本にいながら、英語を話さざるを得ない状況を自力で作るのは、正直、簡単ではありません。いちばん手っ取り早く、しかも逃げ場なくその環境に飛び込めるのが、やはり留学だと私は思っています。

そして面白いのは、その”英語が切実な国”フィリピン(セブ)が、そっくりそのまま留学先になっている、ということです。彼らが英語を手放さなかった理由そのものが、私たちが英語を手に入れにいく理由になっている。よく考えると、ずいぶん面白い巡り合わせだと思いませんか。

私自身、2012年にセブ島へ留学したとき、これを身体で実感しました。日本にいたころは、何年やっても英語が「自分ごと」になりませんでした。ところが現地では、ご飯を頼むのも、道を聞くのも、友達と笑い合うのも、ぜんぶ英語。話せないと、一日が回らない。あの「話さざるを得ない」環境に放り込まれて、はじめて口から英語が出るようになったのです。

英語が話せないのは、あなたのせいではありません。ただ、話さざるを得ない環境に、まだ身を置いたことがないだけ。その環境を数か月だけ借りにいく場所として、フィリピン留学ガイドを一度のぞいてみてはいかがでしょうか。


参考にしたソース一覧

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この記事を書いた人

2012年に4ヶ月のセブ島留学を経験。

留学前はTOEIC300点台だったが、
留学直後のテストで650点を取得。その後オンライン英会話やTOEIC対策を
継続し900点台に到達。

現在はウェブコンサルタントとして活動しながら、
2025年に長男(当時8歳)と3回のセブ島親子留学を敢行。

リアルな体験をもとにセブ島留学の情報を発信しています。

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